うつ病克服への道(原因編・下)6/7

前回の記事では、私は自分の意志よりも人の期待に答えようとしてしまう癖がある、ということをお話しして終わりました。

たくさんの人に当てはまると思うのですが、私は、小さい頃から、自分のやりたいこと、というのが何なのか、イマイチわからないままに育ちました。

小さい頃からやりたいことをやり続けて、それを仕事にできる人たちがいますよね。とても素晴らしいことだと思います。でも、それが素晴らしい、と思っていくら自分のことについて考えてみても、どうもクリアにならないんですね。

パッションが足りないというのでしょうか。。何をやっても、特に感動も無し。一時的におもしろい!と思うことがあっても、大抵は数ヶ月したら飽きてしまう。そんな感じでした。

でも、周囲の大人は、子供の本当にやりたいことを見つけてあげようと頑張っている。夢を叶えられなかった大人は多いですから、その分を子供に期待してしまう。

だから、子供の頃から、私はやりたいことを見つけて、夢を叶えて、その分野で活躍するんだ、と思い込んでいました。

それ自体はいいことだと思います。そのまま本当に夢を叶える人たちもいますからね。

ただ、本当にやりたいことを見つけてそれをやり続けるのと、本当にやりたいと思い込んでしまったことをやり続けるのとでは、結果が全く違ってきてしまいます。

やりたいことを見つけて夢を叶えるはずなのに、いくら待ってもいくら考えても本当にやりたいことが見つかりません。そうなると、無理矢理にでも見つけようとし始めてしまいました。

やりたいことは見つけられないのに、気だけはとても強いんですね。。。

半分以上こじつけです。。。

親が実現できなかったことや、親しい人が憧れていたけど理由があって諦めないといけなくなった分野を、追求してしまいました。

今考えるとアホなんですけど、当時は必死でした。

人の期待に答えようとしてしまう、と書きましたが、どちらかというと、自分で勝手に、そう期待されているからやらなければいけない、と思い込んでいたんです。親も、それをやりなさい、とは一切言っていませんでした。

ただ、期待はされていたとは思います。でも、やりなさい、と言われたことはなかった。

無駄に正義感が強いというか。

はい、アホでした。

一度追求し始めてしまってそれが軌道に乗ってしまうと、今度はなかなかそこから抜け出せなくなります。

自分の意思でやりたいと決めたことではないから、途中で、あれ?って思うんです。

なんでこんなことしてるんだっけ?と。

その、あれ?Momentが増えていくと、やはり辛くなってきます。自分の中で、電車が脱線して走っているような感覚に気が付いているんです。それなのに、走り続けないとならない。(と思い込んでいる。)

走り続けられていた時はまだよかった。

でも、それが燃料切れになってしまった。

そこから、私の、私を見つける模索が始まりました。

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